新しいことを前向きに楽しもう。シュトラウス生誕150年おめでとう!


今日はシュトラウスが生まれて150周年です。

英雄の生涯 ヤンソンスとバイエルン放送

シュトラウスは19世紀のスタイル「交響詩」の流れの最後に登場する。彼はベートーベンやブラームスと違って、苦悩する特殊な感覚をもった芸術家という前に、音を扱う職人として、その表現は音を媒体として人間に感覚を与えている(シュトラウスの実像p13)。今思うとこれが、自分にとって知らない物を知り楽しむ姿勢を与えてくれたきっかけだった。

上の引用と同じ本に、1907年に創刊した週刊誌「モルゲン」に構想を示せといわれたシュトラウスが

「そういうことはスローガンなしにはやっていけない連中、例えば、フランツ・ラハナーを中心にしたモーツアルト信者、カール・ライネッケを中心としたメンデルスゾーン信者、ドレーゼケの尻にくっついていたリスト信者など、ひいきのひきたおしで、教祖とあがめる巨匠の精神にもとる結果を生んでいる連中にまかせときゃいい」

と言いながらも、「急進派のリーダー」とおだてられて、進歩に対して何が大切と思っているかが書かれていた。それは、シュトラウスが好まれる根拠に繋がるように思う。そして、これまたいろんな業界に通じると感じたので紹介します。

音楽に進歩派は存在するのか?という質問にきっぱりいないと答えた上で(党派など反動に変わるから)、中心になるのは、自然に生まれた作品として本能的に理解を示す一般の音楽ファンが大切で、いろんな党派を超えて存在する音楽の前進進歩に好意的な聴衆との音楽会場での出会いだといい。そういった先入観を持たない健全な判断を阻む反動は没落してほしい」と書いている。

反動というのは、

出来の悪い交響詩よりベートーベンのエロイカが好きという人
現代のつまらぬオペラより魔弾の射手を12回続けて見たという人

はでなくて、

「ワーグナー先生がゲルマン神話からオペラの題材をとっておられるから、今度は聖書から題材をとるのは禁止すべきだという人や、ベートーベン先生がナチュラル・トランペットにやむなく主音と属音だけを吹かせたというだたそれだけの理由で、バルブ・トランペットは旋律楽器とみなすのが正しいと教える人など、大きな規則表を楯に新しいことをやろうという人間、やれる人間を見るや、禁止だだめだと言い出して人の努力をおしとどめようとする人をすべて」のことであり、

「巨匠たちに限りない敬意を抱いているから、パンのため、芸術以外の野心を満たすためであっても「たえず努力する」人たち歓迎する」と締めくくっている。

~Der Morgen1907年6月14日創刊号より~

こういう連中はどこにでもいるし、しかも偉そうにしている。リンカンセンター主催のグレートパフォーマーという企画公演で、一番いい席に座っているオーガナイザーたちがそれにあたる。

アメリカのオーケストラを聴きに来ていながら、ベートーベンはやっぱりウィーンに限るといっている人もそうだ。デビューしたてのピアニストのリサイタルで、私はキーシンの方が好きだという人もだ。アルフレード・シュニトケという旧ソビエトを代表する作曲家の作品を扱った演奏会で、私はロマン派が好きだわと隣でずっと雑誌を読んでいたおばさん。ページをめくる音がひどかった。なぜ帰らなかったんだろう?

ニューヨークでは、現代曲だけ2週間やる企画があり、先週の土曜に新作を聴いた。3曲やった内、最後に演奏された経験あるアメリカ人作曲家の作品を聴きながら、前2曲と比べて思ったことは、作品がオーケストラ(曲が交響曲だったので)をうまくするということ。縦に組まれたハーモニーの構造は演奏者たちに新しい刺激を与えて、メロディは彼らに新たな歌のセンスを与える。世界で初公開される演奏を聴きながら、作品と演奏者がお互いを高めあっていると第一印象で感じた。次に聴きながら思ったことは、いい作品もいい演奏に恵まれなければ活かされないということだ。ソロパートのフレーズの締めに角が無かったり(要は尻切れに聞こえる)弦パートの演奏のセクション間に継続的な統一感が無かったり(つなぎ目でぶつぶる切れて聴こえる)要は全体の構想を魅せることに欠ける演奏だった。一見うまく聴こえるが、演奏の中身を聴きに行くと、いい演奏家に恵まれることは、いい作品が生まれる条件の一つだと感じた。

自分がシュトラウスのいう、本能的に理解を示す一般人ではない(そうあろうと心がけているが努力が足りない)。しかし、少なくとも上の例にあるような反動であるとは思えない。知識も経験も適当で自分の興味にしたがってしか公演を楽しむことができないから反動にすらなりえないが、10年前に比べたらいくらかは先入観を捨てて聴けるようになった。それがここに来て聴き続けてきて、上に書いたようにまだ誰にも触れられていない音楽の感触に出会った時、直感的に感じることに繋がっている。

シュトラウスの誕生日に、少しでもよい作品がよいと評価され、いい演奏がいいと判断され、少しでも演奏会が新しい本能的に理解を示す一般人たちの間に溶け込んでいい集まりと時間が生まれることを願います。

P.S.ニューヨーク時間 午前11:00
いつもニュースをチェックしているサイトで、レブリヒトがシュトラウスのモルゲンを取り上げていた。
http://slippedisc.com/2014/06/guten-morgen-richard-strauss/

自分の人生のどこかのタイミングで、19世紀のオーケストラ作品を一覧したとき、自分がピンときた作曲家が、それはリストでもワーグナーでもなく、シュトラウスだったことがうれしい。
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Maira Gall